ショートショート
竜の骨こそがその証(※『竜の骨』シリーズ3)
周りのひとと違うものをみききしているとはっきり気づいたのは、一体いつのことだったか。
世界は二重に見えるなんて普通の常識だと思っていたから、最初は戸惑った。
すぐ傍らに立つ怖い存在に、みんな無頓着にしているから、すごいなぁと尊敬していたけど、ただ見えていないだけだと気づいたのは結構遅かった。
『大体は、四歳を過ぎるとみえなくなって忘れていく』
大分後になって、不思議だったと零したぼくに彼は言った。
『こうして地上に生れ、肉体に入っているうちに、目と魂が曇っていくんだ。知識や経験が増えていくと同時に、清めをしないでそのまま放っておけば汚れていく一方なのは仕方のないこと。君は例外さ。あまりにも純真無垢で現実に染まり切れていないんだ』
いろんなやつらがぼくのすぐ傍にいて、常に隙を窺っていた。眠るときも、寝ている無防備な間に乗っ取られたら大変だから、ちゃんとガードして意識を保って睨みをきかせてから眠った。それでもあいつらはちょっとした隙に寄ってきた。色んな姿形をして現れた。
机に向かって勉強していたら、突然頭上で物音がしたかと思うとノートの上に生首が落ちてきたこともあった。眠ろうと思ってベッドの方に顔を向けたら、耳元まで口が裂けた少年がにんまり笑ってベッドの上であぐらをかいていることもあった。トイレに行こうと自分の部屋を出たら、ドアの前に大きな一つ目の黒い怪物が、無数にある細い足をわさわさ動かして大きな口からよだれをたらしていたことも。例をあげたらキリがない。
少しでも怖いと思ったら、気持ち悪いと思ったらやつらの思い通りだとその頃にはもう分かっていた。生首は手で払いのけて、口裂け少年は布団をばさばさして無理矢理落っことした。黒い怪物は無視して脇を通り過ぎた。でもやっぱり怖くてたまらなくて、よく叫びながらお母さんのところへ走っていってぶるぶる震えてたりした。
水晶さんは心の支えだった。彼女はその頃まだみえはしなかったけど、きくことはできた。ぼくはみききできて、時々言葉をもらったり想像することしかできなかったけど、水晶さんはちゃんと払うことができた。ぼくにとってなくてはならない存在だった。
よくぼくが動けなくなったり苦悶したりおかしくなったりしたときに、慌てたお母さんは必ず水晶さんに電話をかけて泣きついていた。車を飛ばして隣の県まで行くこともしょっちゅうだった。その間、車のなかでぼくは訳のわからないことを言って叫んだり笑ったり泣いたり呆然としていたりした。
或る日、水晶さんがプレゼントをしてくれた。それはとても綺麗なペンデュラムだった。水晶さんのと同じ水晶でできたペンデュラム。これを練習すれば、わたしも自分で自分を守れるようになるかもしれないと彼女は言った。嬉しかった。頑張ろうと思った。
でもなかなか思うようにはいかなかった。石と仲良くなれる自信はあったのに、その水晶はなかなか無口で淡白で、何を言いたいのか何を言っているのかさっぱり分からなかった。何日か粘ってみたけれどさっぱり通じ合えなくて、ぼくは業を煮やした。そこでぴんと思い立った。
昔こっくりさんが流行ったことがある。あれがとてもよくないものだとはその頃のぼくはもう痛いほどよく分かり切っていたけれど、案をもらうのだけはいいかもしれない。スケッチブックに五十音を書いて、ペンデュラムを通すのだ。ペンデュラムは水晶だから、悪いものは寄せ付けないはずだと信じた。
そしてぼくは実践して、早速五十音を書いてペンデュラムをその紙の上にかざした。
最初、ペンデュラムはすごく躊躇っていた。嫌がるように不安定な動きをくりかえした。
それでもわたしがかざし続けていると、急に動きが滑らかになって、文字を選別し始めた。これでこの子と疎通ができると無知なわたしは喜んだ。
ペンデュラムは、四つの平仮名の上で反応を示した。それは「け」と「い」と「や」と「く」という文字。首を傾げた。何のことか分からなかった。
もしかして、「契約」のことですか、とまだ幼かったわたしはペンデュラムに尋ねた。その石は、「はい」と「いいえ」の項目にかざすと「はい」のところで大きく激しく反応した。
ますます意味が分からなくて、一体、何の、とさらに尋ねようとした。その時不意に、身体がずしんと重くなった。口が引き結ばれて開かなくなった。手が震えた。こころが、痛かった。何かにこじ開けられるような感覚、何かがぬるりと身体の中に入ってきて、悪寒が全身をかけめぐった。訳が分からなかった。
視線が勝手にさまよった。身体は重いのに、何故かすっと身軽に立ち上がった。自分で驚いた。立つつもりなんてなかった。
ぼくの中の視線が、台所に向かった。ぼくの中で、声が響いた。
―― やれ、やれ。今だ。
ぞっとした。嫌な予感が駆け巡った。何かぼくは恐ろしいことをしでかしてしまったのではないかと気づいた。
身体は怯えるぼくを放って勝手に台所に向かった。それはいっそ気楽で軽快で楽しそうな動きだった。やめてぼくの身体を動かさないで。叫びは身体の内に押し込められたまま発することはできなかった。
台所に立つと、戸棚をあけて視線が目当てらしきものを見定めた。ひっと身体のなかでぼくの悲鳴が漏れた。まさかと思った。そのまさかだった。
わたしの手が勝手に動いて、黒い柄を握った。柄の先にはすらり銀色に輝く刃。顔の前まで持ってきて、ぼくの視線がその刃の怪しい輝きを見つめた。
口が勝手に動いた。
「死ななきゃ、いけないよ」
パニックに陥りそうになった。だ、誰、誰なのなんでわたしの身体を勝手に動かしているのやめてどうする気なの、お願い馬鹿なことはしないで。必死に身体の内で叫んだ。でも身体の主導権は完全に、正体の分からぬ誰かにあったから、ぼくはただただ怯えて自分の身体が何をしようとしているのかを見ているしかなかった。
お母さん、お母さん! 届かないと知っていても、叫ばずにいられなかった。
助けて、お母さん!
口角が上がったのが、分かった。ぼくの中の誰かが、笑ってる……! やっとぼくを殺せる時が来て、笑ってる!
身体がぺたりと床に座り込んだ。包丁の切っ先がわたしの左胸にむけられた。柄は両手で掴まれていた。
嫌だ、嫌だ、ぼくはまだ死にたくない、まだ何もできていないのに。
叫んだ。お母さんお母さんお母さんお母さん助けてぼくが死んじゃうわたしが殺されちゃうお母さん助けて早く来てお母さん。声は一向に外に出なかった。
ぼくの身体のなかで、その誰かが嘲った。
―― なんだ、この程度なのか。意外と大したことないな。
その時、ドアが開く音がした。ぼくも、ぼくの身体の中の誰かも、はっとした。
足音が聞こえた。お母さんだ、と分かった。でも死角になっていて、ぼくがどういう状況にいるのかお母さんには見えないのだった。焦った。でもチャンスだと思った。
力を振り絞って、声を出した。お母さん。助け、て。
思い切り絶叫したつもりだったのに、実際は掠れた声しかでなかった。それでもお母さんの耳に届きさえすればよかった。
足音がばたばたと聞こえて、お母さんの顔が現れた。ぼくの様子を一目みて、目を見開いて一気に青ざめた。
「何してるの!!!? 」
―― 早く、今だ……殺せ。手遅れになる前に。
た、助けて、身体が……口は動いたのに声はもう出なかった。それでお母さんは悟ったようだった。きっとわたしを睨んだ。
「あんた、誰!? うちの子に何してるの!! 」
その言葉を受けて、ぼくの口角が大きく上がった。
『我? 主には関係なかろう。こやつを殺しにきただけさ』
そうしてぼくの身体は高笑いした。柄を握る力がぐっと強くなった。ぼくは身体の中で悲鳴を上げた。
『こやつはここで死ぬ運命なのだ。死ななくてはならぬ。そういう宿命なのだ』
「止めなさい! 」
『こやつは我と契約を交わした。こやつの身体は既に我のもの』
交わした覚えなどなかった。でも、言っていることは分かった。先程の、五十音を書いた紙だ。あれで、あの四文字を示したペンデュラムに「はい」を選ばせてしまった。わたしは、ただ尋ねただけだった。あの「はい」はわたしの「はい」ではなかった。でも、そんなのあいつらには関係ない。形だけでもとらせれば、後は何とでもなるのだ。
分かっていたのに。あいつらのやり口は分かっていたはずだったのに。まさか、あんなことで――今更に悔しさが滲みだして怖くて怖くて苦しくて死にたくなくて。泣いた。
死にたく、ないよ。
生きたい、人間として、生きたい。
どうしてもこの生でやらなくちゃいけないことが、あるんだ――
実際に頬を冷たい涙が伝ったことに、自分で驚いた。身体の中の誰かも驚いたのが分かった。その一瞬の隙に、お母さんがぼくの手から包丁を取り上げた。誰かがはっとして取り返そうとお母さんに掴みかかったが、ぼくは身体の中で暴れまくった。身体の中で見えない誰かに意思で掴みかかろうとした。必死に抗った。生きたかった。生に執着していた。
この身体は、わたしの身体だ――! わたしが神様からもらったんだ! 返せ!!
この物質世界では、生きている者の方が本当は強い。
主導権は、わたしにあるんだ。
すぐさまお母さんは水晶さんに助けを求めた。慌てて連れていかれた。
やはり五十音でペンデュラムを使ったことが原因だった。あれで強力な巳を喚んでしまったらしかった。本当ならわたしのこの体質のことだ。既に命をとられていても全然おかしくなかった、らしい。それを聞いてぞっとした。でも助かったのは、ペンデュラムのおかげだった。ペンデュラムが、わたしの身代わりになったのだ。
冷淡だと思っていた。無口だと思っていた。でも、そのペンデュラムが身を挺してわたしを守ってくれたのだと分かった。荒塩に埋めて封印されることが決まった。もうそのペンデュラムは使えなくなった。それは巳を封じるための石になってしまった。ごめんねもありがとうも、もう届かなかった。
このことがあってから、お母さんも水晶さんも一層注意するようになった。ぬいぐるみと話す習慣があったわたしのことを考慮して、ずっと見逃してくれていたが、いつぬいぐるみに込められた魂がわたしを本格的に利用しようとするか分からないから、と言って。ある日学校から帰ってきたら、大切だったぬいぐるみ全てがゴミに出されていなくなっていた。大泣きしたがどうしようもなかった。
そうやって、見るもの聞くものにも規制がかかるようになった。過敏すぎるわたしが一体何に影響されるか分かったもんじゃない。いつまた前のように身体を乗っ取られて身体を損なう危険に陥るか分からない。魔法使いなど、「魔」と入る作品は全部取り上げられたし禁止された。「死神」なんかはもってのほかだった。わたしがそれを読めば家族が崩壊するとたしなめられた。ファンタジーは注意しなさいと言われた。漫画は一層、器を与えやすいから気をつけろと。わたしの目と声は、魂をこめる。大人しく従った。
のどが痛くてつっかえると気づいたのは、ある日突然のこと。痛くて、熱くて、なんだかあっぷあっぷする感覚。痛くてたまらなかった。魚を食べた覚えはなかった。魚の骨ではない。喉につかえるような物をここ数日口にした覚えはなかった。それに、あまりにも急なことだった。なんだかのどから何か鋭い物が生えてきたような。狼狽えてびっくりして、慌てて水晶さんのところに行った。
同時にわたしは、青い彼の存在を認識したことに気づいた。
彼はずっと傍にいてくれたのだと知った。ただ、それまでみえなかっただけだ。
では、こののどの痛みは――
「それは、竜の骨だね」
水晶さんは治療してくれた後に言った。痛みは完全にはひかなかったけれど、大分マシになっていた。
「あなたの中には、竜がいる」
数瞬目を瞬いた後、彼を意識の中で振り返った。微笑んでいる顔が見えた。
『君は、竜のこだ』
とても流れの激しい滝をのぼり切った鯉が竜となると言い伝えにはある。
竜は気性の激しいものであり、また同時に慈悲深く高みを目指して昇りつめていく圧倒的な存在。
『のどに刺さったその竜の骨が、何よりの証』
胸に何か迫ってくるものがあった。身体の内側が燃えるように熱かった。
昇っていきたくて、たまらなかった。上へ上へと。
志すのは限りなく高い至高。
いつか、わたしはこのことを書こうと思う。自分の身に実際にあった、これらのことを。
痛むのどをさすりながらそう言ったら、彼は優しく頷いてくれた。
『あぁ、是非書くといい。君は、書くこだから』
きっと、みんなただの物語――作り話だとしか思わないだろうけど。
『それでいいんだよ。物語でも、いいんだ。実際、人生は物語だ。それに何が本当で何が嘘かなんて、本当は関係ないんだよ。未来の君に言ってあげたい。全ては自分次第なのだと』
よく分からないままに頷き返した。彼は相変わらず優しく微笑んでくれていた。ぼくにみえていなかった間と変わらないだろうその穏やかな笑顔で。
その微笑みを見つめながら、わたしは今日、本当に生まれたんだと実感していた。
のどが痛みだしたその時に、生まれたのだ。
*あとがき*
こちらにて『竜の骨』シリーズは完結です。
いつか、書こうと思っていて。思い続けて、ようやく書きました。
実際書き出してみるとあっという間ですね。うむ、まぁ予想していたよりも短く済ませてしまいましたからね。
お分かりになったかと思いますが、このシリーズは時系列でいうと逆に並んでおります。つまり時をさかのぼっているんですね。このシリーズ3が、小学校高学年から中学生前半、シリーズ2が高校生、シリーズ1が、その後――ということです。
本当にありがとうございました。
いつも見守っていてくれたあなたに捧ぐ。
*** Merci ***
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